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8月9日について-22

 長崎に投下された原子爆弾、そしてソ連軍侵攻により亡くなられた方々へ哀悼の意を表します。

 昨年の8月9日にも同じ題名で投稿致しました。65年前の8月9日は、日本の歴史上、二つの大きな事件が起きた日であります。

 一つは長崎に原子爆弾が投下されたことであります。広島同様民間人が多数居住する都市に、それまで使用してこなかった大量殺戮兵器である原爆を、アメリカ軍が投下したのであります。戦時下であったとはいえ、人類史上稀に見る大量殺戮行為であります。
 当時アメリカは、日本軍による真珠湾攻撃をだまし討ちとし、「リメンバーパールハーバー」と謳い、対日参戦への国民意識の高揚に利用しました。確かに日本が先に奇襲攻撃したではないかという考え方もありますが、攻撃目標は真珠湾にある軍港であり、軍事施設であります。元来攻撃を受ける可能性のある場所であり、不幸なこととはいえ、そこに勤める軍人、軍属、偶然居合わせた民間人に至るまで、被害を受ける可能性は当然在るわけです。
 これに対して、原爆が投下された広島も長崎も民間人の住む都市であります。国際法上、保護が義務付けられている非戦闘員、民間人が多数居住している地域です。戦後反戦左翼は、広島も長崎も軍都であったから爆撃の目標とされたと主張していますが、ならば軍事施設のみを破壊すれば良かった訳で、初めから新兵器である原子爆弾をしようしたかったアメリカの思惑が見て取れます。

010979-P1010979.jpg もう一つ忘れてはならない歴史的事実が、ソ連による日ソ中立条約の一方的破棄と対日参戦であります。毎年8月9日になりますと、全国の民族派団体が集まり、ロシア大使館周辺で抗議活動が行われます。
 日ソ中立条約。正式名称は、大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約、日本側条約番号は昭和16年条約第6号、昭和16年(1941年)4月13日モスクワで締結され、同月25日に発効した条約です。内容は日ソ相互不可侵、また一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などが定められました。
 大戦末期、昭和20年8月9日午前零時をもって、ソ連は突然条約を破棄を宣言し、対日攻撃を開始致しました。宣戦布告が前日の午後11時、この時既に在ロシア日本大使館の通信手段が切断され、宣戦布告の一報が本国に打電できない状態でした。
 さらに、その後日本がポツダム宣言を受諾し降伏したにもかかわらず、千島列島や南樺太に侵攻をするという戦時国際法違反を公然と行いました。ソ連軍の侵攻は、択捉島の北に位置するウルップ島で一旦止まりますが、北方四島への米軍上陸が無いと見るや、さたに南下し四島を占領しました。 ソ連政府は大戦後、四島は千島列島に一部であり元来ソ連領との主張をしておりましたが、択捉島の手前で進軍を止めたことは、ソ連側にも1855年以来の四島日本帰属の認識が有ったものと思われます。
 占領地でソ連軍は日本兵捕虜に対し、国際法に違反するシベリア抑留を強制し、また多くの日本女性を暴行しました。樺太では、真岡郵便局に勤務していた女性の電話交換手がソ連軍の侵攻を受けながらも必死の交換業務を続け、ソ連兵が間近に迫ったところで自決、後年真岡郵便電信局事件と呼ばれる悲劇も起きました。
 これらの出来事について、敗戦国となった我が国で、公に語られることは少なかったかと思いますが、戦後65年が経過し、ようやく歴史に光が当てられつつあると思います。8月9日は、北方領土問題そしてシベリア抑留などの悲劇の原因となった日でもあるのです。

※写真:抗議に来る街宣車に備え、厳戒警備が敷かれる飯倉交差点の様子。

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