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その他

【視察】大阪 塚本幼稚園を視察

1897.jpg 日本創新党所属議員、同前議員、同党友議員による視察のため、大阪に参りました。視察先は、学校法人塚本幼稚園幼児教育学園(籠池靖憲園長)です。

 まずは朝礼。私達も参加を許され、松浦芳子杉並区議会議員から順に各議員が、園児の前で挨拶をしましたが、園児たちは「よろしくお願いします!」と応え、礼儀正しさを感じました。
 その後、国歌斉唱、教育勅語、五箇条の御御誓文の唱和と続きましたが、幼児たちがスラスラと唱和する姿に感動しました。日本の教育の原点として、この部分にも私達は意識を持たなければならないのではないかと思いました。
 音楽体操と瞑想が行われ朝礼が終了致しました。

 園児達は朝礼後、グループに分かれ、それぞれ授業を受けておりました。園舎では、「維新の間」(教室名)で論語の授業が、「聖徳の間」(同)では将棋の授業が行われておりました。
 論語の授業では、先生の続いて論語の朗読が行われていましたが、教科書には仮名のルビが付けられ、幼児でもすぐに読めるような工夫がされておりました。
 将棋の授業では、各園児達の前に将棋盤が置かれ、先生の指導の元、実践的な講義が行われていました。
 幼稚園から通りを隔てた位置にある公園ではラグビーの授業が行われておりました。紅組白組に分かれ、男女混合による試合が行われておりました。女性教員が「どんくさいことやってたら負けるよ!」とか「油断してたら、どんどん入ってこられるんです!」と檄を飛ばしていたのですが、このあたりは、今の我が国とどこかの国との関係を彷彿させるものがありました。

 一連の教育活動を拝見して、日本人としての自覚、文武両道の推進、今の日本の教育にかけているものを強く認識した次第です。大変有意義な視察でした。視察の様子は、後日動画サイトにアップ致します。 

【政経塾】100行軍激励

0257.jpg 松下政経塾毎年恒例の、100キロ行軍訓練の出陣式に、来賓として出席致しました。この訓練は、政経塾の公式研修プログラムの一つで、新入塾生を24時間かけて、100キロを徒歩で踏破させる内容です。正に自分との闘い、自分を自分の力で超越できるか否か、自らに課せられる課題です。
 私は、毎年その出陣式のお招きにあずかっております。式典で、松下政経塾の塾是、塾訓、五誓の唱和を行うのですが、その音頭役を担っております。
 式典終了後、塾生たちは元気に出発しました。後からの報告で、24時間後全員無事完歩したとのことでした。参加された皆さん、お疲れ様でした。

※写真・出陣式で、新人塾生と共に塾是等の唱和

【国政】野田佳彦新首相誕生について

 昨日行われた民主党代表選挙において、野田佳彦財務大臣が、新しい代表に選出されました。そして本日の衆議院及び参議院における内閣総理大臣指名選挙において、第95代62人目の日本国内閣総理大臣に指名されました。
 今後正式には、天皇陛下による任命を受けて、正式に首相就任ということになり、それまでは報道各社とも、野田氏を新首相、菅氏を首相と表記しております。

 野田新首相は、松下政経塾の一期生で、同塾出身者初の総理誕生となりました。私も同塾出身者(10期生)の一員として、野田先輩の首相ご就任を、心よりお祝い申し上げます。
 新首相との出会いは、今から24年前、昭和62年の千葉県議会議員選挙の時であります。当時私は明治大学3年生で、自由民主党の学生部に所属しておりましたが、同選挙前に部長の逢沢一郎衆議院議員より、「僕の政経塾の同期が、今度千葉から県議選に出馬するので、手伝ってほしい。」と言われ、選挙区である船橋に向かいました。
 事務所は、津田沼駅から歩いて数分のところにある空き地に建てられたプレハブ小屋。ここでボランティアの皆さんを中心に活動されておりました。私自身は告示期間前の数日しか入れませんでしたが、ポスター貼り協力へのお願い、駅頭でのビラ配りなどのお手伝いをさせていただきました。
 初めての選挙体験でしたが、現在の私自身の選挙の原型が、この時創られました。新首相には大変失礼ですが、当時の野田佳彦千葉県議会議員候補予定者の知名度は、ほとんどゼロで、まさか24年後に内閣総理大臣に就任されるとは、夢想だにしませんでした。やはり人生とは、どうなるものなのか分からないもので、その間多くの労苦を超えられたものと察します。

 私は以前より、国会議員を志す方には、まず地方議員を一期か二期経験してほしいと思っております。単なる風や、相手のエラーつつきだけで国会議員になっても、庶民の生の声を受け止められるだけの力があるとは思えないからです。地方議員出身の総理として、新首相には、あの頃の初心を忘れないで国務に邁進して頂きたいと思います。


【麻布】麻布地区納涼盆踊り大会/sayaさんコンサート

0135.jpg 麻布地区納涼盆踊り大会が開催されました。
 毎年運営側の一員として参加しておりますが、今年は準備作業日である前日が党大会と重なり、櫓の組立作業に参加できなかったのが残念。しかし当日会場のテント張りには加わることが出来ました。
 今年の盆踊りには、麻布小の同窓生も家族連れで例年以上に参加する姿が見られました。久し振りの再会で、中にはすぐに顔と名前が一致しないような場面もあり、面白かったです。

 ところで、私は盆踊りを終盤で中座し、会場と六本木交差点を挟んで反対側、丁度芋洗坂にあるライブハウスSTB139に向かい、友人で歌手のsayaさんのコンサートを鑑賞いたしました。
 コンサートのテーマは、『「日本の心をうたう」CD発売記念&上條恒彦さんを迎えて 童謡詩人金子みすゞを詠む with 塩入俊哉(pf) 〜 sayaの音楽流星群 in STB139 〜』でした。

<関連サイト>
saya official site

【神戸】メモリアルパーク訪問/【和歌山】松下塾主墓所参拝

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 神戸入り二日目の今日、午前中は神戸港震災メモリアルパークを訪問しました。ここは阪神淡路大震災発生時に陥没した桟橋の一部を、公園として保存している場所であります(左上写真)。
 メモリアルパークの近くの神戸市の様子も撮影しました(右上写真)。あの震災から今年で16年、神戸は復興しています。今から10数年後、東日本大震災被災地も力強く復興していることを祈るばかりです。

 午後和歌山に移り、松下政経塾創設者、故松下幸之助塾主墓所を参拝し、先の区議選の結果を報告致しました。

【神戸】先祖墓参と春日野墓地協会総会

 先祖の墓参りと春日野墓地協会総会出席のため神戸に来ております。

 午前中、先祖の墓がある春日野墓地を訪れ、先の区議選の結果について報告を行いました。 昼食を、三ノ宮駅近くに在り、名物とんかつで有名な「もん」で取り、同墓地協会総会に向かいました。

 春日野墓地は、徳川家光治世の寛永年間から共同墓地として発足し、今日迄400年近い歴史を有します。私の先祖の墓も、この中に在ります。
 総会では、昨年度の事業・決算・監査報告、新任理事の承認、墓地会館休館日の設定、本年度事業計画・予算案の承認などが議案として提出され、いずれも承認されました。審議時間は2時間半、よくあるシャンシャン総会でなく、会員と役員による積極的な質疑が行われました。
 私からは、法人化に向けての具体案、ホームページの内容の見直しなどについて質問を行いました。

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 総会終了後、久しぶりに異人館をめぐり歩きました。私が訪れた所がトーマス邸、通称風見鶏の館、30数年前のNHKの朝のドラマ「風見鶏」の題名の由来となった家です。100年前に建てられた住宅ですが、現代社会でも頑丈さと風格を守りながら残っている様子には素晴らしいものがあります。

 夜には、北野坂に在るジャズバー「ソネ」に行きました。神戸に来た際には必ず寄る場所です。久しぶりにジャズのセッションを聞きながら至福の時を過ごしました。

<関連URL>
〇 風見鶏の館オフィシャルサイト
〇 欧風料理 もん - 三ノ宮/洋食 [食べログ]
〇 神戸 JAZZ LIVE &レストラン ソネ
〇 神戸の霊園墓地・神戸中心地最短のお墓「春日野墓地」に永代供養墓を新設

麻布小前の紫陽花

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 6月22日、麻布小学校の前で撮影した紫陽花(アジサイ)です。紫陽花は、港区の区花の一つでもあります。

【防衛】港区防衛親交会総会に出席

 今日午後4時から、市ヶ谷にあるグランドヒル市ヶ谷で、港区防衛親交会の総会が開催され、同会顧問として出席致しました。同会顧問には他に、渡辺専太郎港区議会議員(民主)、森野弘司郎前港区議会議員(自民)もおられます。

総会では、前年度の事業報告・決算報告・監査報告、今年度の事業計画・予算案が犠打として審議され、いずれも了承されました。東日本大震災被災地復興のため、自衛隊各部隊が被災地に展開している関係で、例年の行事の内の幾つかが、今年は中止となりました。

 港区防衛親交会は、昭和53年に設立され、私は母の勧めで、12歳という最年少メンバーで入会しました。当時まだ私は麻布小学校の児童で、防衛庁は六本木に在りました。以来同会の活動を通じて自衛隊を身近に感じるようになり、議員当選後、渡辺議員の勧めで顧問に就任致しました。

 総会終了後、懇親会が開催され、陸海空自衛隊市ヶ谷部隊の皆さんからは、被災地の支援状況について様々お話を伺うことが出来ました。また親交会の皆さんから私に、様々な激励の言葉を頂き大変有り難く思いました。

【三笠】復元50周年記念式に参加

0620.jpg  記念艦「三笠」復元50周年記念式に出席致しました。三笠は、日露戦争の終盤の明治38年、日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃退した大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦であります。その後大正12年に退役し、同15年以来、記念艦として保存されております。

 式典の主催団体は財団法人三笠保存会です。同会のホームページによれば、現在の三笠保存会は大正15年(1926)世界に誇れる記念艦として生まれ変わった三笠が、昭和20年(1945)大東亜戦争敗戦後の世相の混乱により記念艦としての性格と形態を失い、 極度に荒廃していたのを遺憾とし、これの復元のための募金とその後の各種事業を行うために昭和33年(1958)に設立され、昭和35年に財団法人になったとのことです。
 そして保存会は記念艦三笠を旧態に復して永久にこれを保存し、もって民族精神の高揚に資することを目的とされ、この目的達成ののために行う事業として、
■国の委託を受けて記念艦三笠を維持保管すること。
■記念艦三笠に関係ある記念資料の蒐集、講演会の開催、印刷物の刊行。
■記念艦三笠を広く公衆の観覧に供し又はこれを公共の利用に充てること。
その他とされています。

 午後1時30分より、艦内の講堂で記念式典が挙行され、三笠保存会会長、米海軍第7艦隊司令官、横須賀市長が順に祝辞を述べました。

0647.jpg 艦内は展示館となっており、欧米列強によるアジア植民地化、ロシアによる南下など当時の日本を取り巻く国際情勢が、パネルや模型、当時の資料、実際の砲身などを用いて丁寧に説明されております。また艦橋や甲板にも上がることが出来、日本海海戦において東郷平八郎連合艦隊司令長官が立っていた場所には印が付けられております。ここから当時画期的な戦法とされた丁字戦法、いわゆる「トウゴウ・ターン」を命じ、我が国の勝利に導いたのであります。

0669.jpg 今や欧米列強の侵略はありませんが、中国による海洋覇権、ロシアの南下覇権のそれぞれの拡大など、日本周辺の緊迫した状況は現在も同じです。
 三笠保存会設立発起人総会において、発起人の一人である小泉信三氏(昭和8年 1933年 慶應義塾大学塾長就任)は講演で、「自尊自重の精神の無い国民が、他国人の侮りを受けるのは当然であり、自らを重んずる精神の無いものは、弱小のものに対しては不遜となり、強大なるものに対しては卑屈になることは避けがたいことであります。(中略)この度の三笠保存会の設立により、国民の間で復元気運が高まり、記念館三笠が元の姿に復元され、自尊自重の精神を取り戻すことができることは、申しようもない喜びであります。」と述べられたそうです。
 小泉氏のこの言葉は、今まさに現代の日本人が思い起こさなければいけないものだと思います。私達に自尊自重のせいしんがあるのでしょうか、それを取り戻すべき時代にあるのではないでしょうか。

記念艦「三笠」公式ホームページ

極めて残念なニュースと不愉快なニュース

 先月行われた港区議会議員選挙で、未成年者などの選挙運動員に報酬を支払ったとして、警視庁捜査2課は、今月16日、公職選挙法違反(運動員買収・未成年者使用)の疑いで同区議選候補だった、しまだかずみ(本名 西村和美)容疑者他一名を逮捕しましたた。同課によると、しまだ容疑者らは容疑を認めているとのことです。

 極めて残念なニュースであります。しまださんとは、今から10年前に保守系市民運動を通じて知り合いました。平成13年に行われた都議選で、しまださんは自由党公認候補として大田区で、私は無所属候補として地元港区でそれぞれ立候補しましたが、共に当選を逃しました。その後平成15年の区議選に共に立候補するも、この時もお互い落選、平成19年の区議選では、しまださんは立候補せず、私は当選致しました。
 選挙時には、お互い議席を相争う関係でしたが、人間的には信頼関係を保ち、政策に強い人物として、いずれは港区政に参加されることを期待していた友人です。今回の選挙投開票日から数日して、一度電話で話し、お互いの慰労の言葉をかけあったところでした。 本当に残念です。2年ほど前に、民主党からの出馬を勧めたのは私ですし、新党結成直前に、民主党離党について内々に相談した一人がしまださんでした。起こした罪は罪として償い、更生を期し、ご主人を含め従来の友人関係は残したいと思います。

 もっとも逆風の中、民主党の旗を掲げただけ、彼女は、まだましだと思います。今回の区議選では、民主党公認でありながら、そのことを看板から削除したり、民主党のロゴがほとんど見えにくいようなデザインのポスターを掲示し当選した方もおられます。
 そこへ来て、今度は当選した民主党区議5人の内の4人が、諸派議員一名と共に、民主党名を外した会派名で会派を立ち上げたと聞き、非常に理解に苦しみます。残りの1人は、民主の名を冠した一人会派を立ち上げたと聞きますが、こちらは筋が通っています。
 実はほかの自治体でも、民主党名を会派から外す動きが起きています。それなら、初めから民主党の名前で選挙に出なければいいのではないでしょうか。ほとんどの民主党港区議の一連の動きは、港区民と民主党員への冒涜ではないかと、元民主党所属議員として不愉快に思いました。

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